30代後半~40代で妊活を頑張っている私たちにとっては、20代で何の苦労もなく妊娠し子どもを産んだ人たちが羨ましいものです。多額の治療費、度重なる通院、先の見えない不安、逃れられないプレッシャー…そんなものとは無縁で、我が子という宝物を手に入れた人たちですものね。私たちから見るとただただ羨ましい限りの女性たちですが、その女性たちから見ると、高齢妊活者はただただ同情に値する存在というわけではありません。では、どう見えているのでしょうか?
持っていないものを持っている
20代で出産育児をがんばった人にとったら、30代後半や40過ぎるまで子どもがいない人が羨ましいということも多いのです。今妊活に励んでいる人が、これまで子どもがいないことと引き換えに得てきたものは、自分が諦めたり我慢したりしてきたものばかりなのですから。
つまり、自分の都合で出産年齢ギリギリまで選り好んだり勝手気ままな生活を送って不妊になるのは自業自得なのに、いざ不妊となったら職場や社会(保険診療)に甘えて子どもを得ようとしているのだという見方をすると、めちゃくちゃ得しているように見えます。こう考えると、欲しいものは全部手に入れようとする高齢妊活者に対して、可哀想と思えない気持ちも分かります。もちろん高齢妊活者からすると、好きで今の状況になったわけではないと言いたい人が大半だと思いますが。
神様は不公平ではない
20代で子どもを産んだ人は、仕事とか遊びとか諦めるところを諦める生活はすごく辛かったと思いますし、子育てと仕事を両立していくというのは想像を絶する大変さだと思います。めちゃくちゃ頑張ってきたのだと思います。
そういう人のところに不妊当事者やテレビなどから入ってくる情報の中で、不妊治療は大変だとか、お金がかかるとか、精神的負担が大きいとか言われても、ピンとこないかもしれません。むしろ公平だと思うかもしれません。当たり前だと思うかもしれません。今まで楽しい思いをしたのだからそれくらい我慢しなよ、と。治療して授かれるのならそれでいいじゃん、と。
高齢でもすぐ授かった人に対してはともかく、血の滲むような努力と苦労をしているのにまだ授かれない人にまでそういう見方をされると世の中が冷たいような気がしますね。でもそれは仕方ありません。ないものねだりをしてしまうのが人間の性です。実際、私たちも早くに産んだ人たちの苦労や葛藤を知らずに羨ましいと思っているのです。
悲劇のヒロインオーラは控えめに
毎月のリセットに涙している不妊当事者からすると、「ただ普通に子どもが欲しいだけなのに、なぜこんなに苦労しなければいけないの?」「贅沢な望みじゃない、なぜ他の人にはできて私にはできないの?」「こんなに辛い思いをして頑張ってもまだ授かれない。このまま子どもがいない人生になるかもしれないと思うと、それが何より辛い」という気持ちですが、早くに産み終わった人から見ると、欲しい物をほしいままに貪欲にちゃっかり手に入れようとしている人だと思われかねないということを知っておきましょう。
これは不妊治療の保険適用が拡大されてから尚更思われがちです。内心このように思っている人たちが、不妊治療で仕事を休む際にフォローしてくれている場合、イライラされたりいろいろ言われてしまうのは仕方がないです。
だからこそ、こちら側(不妊当事者)の態度とか言葉にはとても気をつけなければいけないと思いました。わかってもらおうとするあまりに、私って大変オーラを出さないようにしないといけないと思いました。
まとめ
いろんな場面で自己責任論は発生します。ショックではありますが、少し楽にもなりました。高齢妊活は、ただただ同情されるような状況ではなく、むしろ羨ましがられる状況でもあるのです。迷惑をかけるのはお互い様なので、迷惑かけないようにしようとは考えなくてもいいです。子どもができなかった時の責任は誰もとってくれませんから。
ただ、優しい言葉に甘え過ぎないことが自分のためにもなります。反感をかうのは損です。協力してくれる周りの人たちに対して、いつも感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。
コメント